底辺からの逆襲〜中小企業のリーマンが市場価値を高め現状を脱却するブログ〜

小中不登校、定時制高校中退、高卒認定試験に17歳の時に合格、18歳の時にMARCH経済学部に入学。就活は高校中退がハンデとなり154社が書類選考で不採用。今は都内の中堅企業で仕事をしています。今までずっと底辺だった私。必ず自分の人生に逆襲してみせる。

何から何まで最底辺な私が自分の市場価値を高め人生を逆転するブログ

 

自分の市場価値を高め、今までの人生とおさらばしたい。

 

絶対に負けません。

 

【スペック】

MARCH経済学部卒業、都内の中堅企業入社。事務やったり外勤したり。

現在(2017/09/24)、社会人2年目になりました。24歳です。

 

資格は自動車免許すらも無しのプー太郎。

 

月収20万円(諸手当込み)

 

 

【経歴】

千葉県の田舎町出身。父親は幼い頃に蒸発。片親家庭で育ちました。

田舎ゆえに噂周りは早く片親家庭のことは町全体に知れ渡っていました。

 

小学校時代は、学年全体から虐めを受けました。

理由はわかりません、小学校2年の夏休み明けからです。

・虫を食べさせられる

・放課後は毎日腹をパンチされる

・給食はほとんどとられる、教師の注意無し

・親からもらった誕生日プレゼントの下敷きを粉々に折られる

等ですかね、記憶にあるのは。

 

小学校4年生終わりから6年生の前半まで不登校になりました。

6年生の前半で不登校をやめ学校に行き始めたのは、自宅にひきこもってると毎晩親の泣き声が聞こえたり、いわゆる「不登校児相談所」みたいなものでしょうか。そういったところに電話をかけ相談している姿を毎日みていたからです。

もう親には迷惑かけられない、そう思って学校に行き始めました。

 

案の定いじめられました。バイキン扱い、虫けら扱いでした。

このときの経験については思い出そうとしても思い出せないので省略します。

 

 

うちの地元はど田舎なので、小学校と中学校はセットのようなものです。

勿論、小学校時代のいじめっこも同じ中学に入学することになります。

 

中学校時代の最初の方は、他の小学校からきた生徒が仲良くしてくれました。放課後に遊びに行ったり、ゲームしたりと。

しかし、それを見ていた同じ小学校だったいじめっこ達が、私が仲良くしていた人達にあることないこと話し始め(あいつがお前のこと嫌いっていってたよ等)、私はまた孤立するようになりました。

 

些細なことやデマで友情が切れる、そんな怖さを中学生なりに味わいました。

 

最初は無視からはじまりました。私は無視は慣れていたので耐えられました。

 

次に小学校時代とおなじような内容の虐めが始まりました(上記参照)

一度経験し、感覚がらにぶったのか耐えることが出来ました。

 

最後に、自宅に火をつけられそうになりました。

私はいじめっこ達を怒鳴り、ぶん殴りました。

いじめっこは逃げて行きました、本当にごめんなさいという言葉を残し。

 

翌朝、私はいじめっこ達と共に教師に呼び出されました。

 

 

私「どうしましたか?」

教師「なぜあいつらをぼこぼこにした?」

私「自宅に火をつけられそうになったからです」

教師「お前らそんなことしたのか?」

いじめっこ達「してないしてない、こいつがいきなりぶん殴ってきた。マジで頭いかれてるよ、だから友達いないんじゃね?笑」

教師「確かにお前(私)は友達といるのみたことないな、もっと社交性つけなきよ。友達になりたいからいじめっこ達をぼこぼこにしたのか?笑」

私「.......」

 

 

この出来事をきっかけに、私は中学に行かなくなりました。

 

しかし幼心に

”このまま人生送ったら生活保護一直線、勉強だけはしよう”

そう思い、独学で勉強をしました。

私の親は勉強を教えられず、塾に行く余裕もなかったので、安い参考書を必死に回しまくっていました。

 

高校は生活習慣的に全日制は続かないと思ったため、定時制高校に入学しました。

しかし、高校に通い始めて2週間、外を出歩くといままで感じたことのない苦痛と、呪怨の化け物が遠くから走って襲ってくる程の得体の知れない恐怖に怯えました。

 

そのため1ヶ月たらずで高校を中退することになりました。

 

自分はなにか精神的な疾患を持っているのかもしれない

 

そう考え、私は千葉県中心部の有名な精神科を受診しました。

 

診断は対人恐怖症と思春期による一時的なもの

 

というものでした。

 

それ以来、私は対人恐怖症と診断されたことに甘え、(行っていれば)高校3年生の8月の時期まで自宅から一歩も出ない生活を送りました。

 

この頃から「自分は小学校中学校高校もまともに出ていない、偏差値もいまは20くらいだろう。親がいなくなったら生活保護を申請しよう、それか自殺しよう」と思い始めるようになりました。

 

 

しかしある時、ネットサーフィンをしていたら、昔のいじめっこのSNSが出てきました。

 

彼は千葉県でも有数の高校に在学しており、志望校は慶應義塾大学経済学部とのこと。しかもA判定。

 

私は絶望しました。

 

私が人生を無駄にしている間、彼は着実に人生を歩んでいた。

自分の戦闘力が50ならば、彼は2億くらいあるのではないか。

 

 

これをきっかけに、私は猛勉強しました。

国立は科目的に厳しいとみて、私立の上智大学経営学部を目標にしました。

 

時期は高校3年生の11月。

 

受験まで3ヶ月しかありません。

アルファベットもままならない、Appleの綴りも間違える

因数分解よく分からない

古文はなお分からない

 

必死に猛勉強しました。

 

結果的に上智は駄目でしたが、某MARCHの経済学部に合格することは出来ました。

嬉しかったです。

 

 

大学入学するまでの間、外を歩きました。

人目が怖いの、謎の恐怖心を克服するためです。

 

結果的に、普通の人と変わらないくらいに外を歩けるようになったのは大学2年の終わりくらいになりましたが。

 

大学へは頑張って通学していました。

昔の知り合いが誰もいないため、対人恐怖はあるものの、友人もでき、勉強も人一倍頑張りました。

 

大学2年からは営業代行のかなり小さいベンチャー企業で営業のアルバイトをしました。契約は正規の職員より良く社内で一番でした。

始めて自分に自信がもてた瞬間です。

 

高校以前の自分が見たら、大学3年以降の自分はなにもかも別人になっていたと感じると思います。

 

就活はかなり苦戦しました。

 

2chではボロクソ言われているMARCHですが

やはり腐ってもMARCH。

まわりは例外なく大企業に内定していきます。

 

私も当初は自信過剰で、大企業のみを目指していましたがほとんど書類選考落ち。

 

 

運良く面接に辿り着けた会社でも

 

↓以下、実際に言われた原文ママ

「高校中退って...時間あったのにMARCHなの?」

「もう時間ないから帰っていいよ、取る気はないから」

「採用は投資、君に初任給350万を投資して回収できる見込みはない。高校くらいは普通でれるでしょ。おまけに小学校、中学校も不登校?いくらそれなりの大学出ててもねえ...」

 

といわれ、不採用続き。

就活でありのままの自分を話した結果です。

大学時代頑張り培ってきた自己肯定感が一気に崩れさった瞬間です。

 

 

その後も採用活動を続け不採用ばかりでしたが。運良く大学4年の11月にいまの会社に拾ってもらいました。

 

 

入社してすぐ、私は人事部の同期に、同期飲みの場所で

 

「お前高校中退ってまじ?引くわー、よく入れたな」

 

と言われました。頭が真っ白になりました。

 

その後も同期からは高校中退というレッテルを貼られています。

多分これからもずっと続くでしょう。

 

幸い、私の部署には同期は一人もおらず、なんとかやっていけています。

仕事ぶりは上司によると良好とのこと。嬉しい限りです。

 

 

ざっと、今までの私の人生を紹介しました。

 

今までの人生を誰にも馬鹿にされない

 

そんな人生にしたい

 

そのため、自分の市場価値を高め、誰にも馬鹿にされないような人生を作り上げていきたいと思っています。

 

なにかご質問ありましたらお気軽にどうぞ。

 

宜しくお願い致します。